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風邪ひきました。 [2008年07月29日(火)]

風邪ひきました。

このところの猛暑のせいで、暑くて扇風機をつけっぱなしにして
寝ていたら、風邪ひきました。
一週間ぐらい喉をごほごほいわせています。
熱はないのですが、ちょっとやりづらいです・・・。

そんなに風邪をひく体質ではないのですが。
食生活の悪さとかがたたっているのかもしれません。

で、ネタとしてたまご酒とやらを作ってみました。
わりと都市伝説的じゃありません?たまご酒って。
名前は聞くけど、作ったことはないみたいな。
作り方は以下参照。
http://www.marukawaya.com/mamechishiki/mamechishiki24.html

結果。
砂糖を入れたおかげか、まぁまぁ甘くておいしい。
これが効くかどうかは明日わかる。

最近、どう生きるべきかということについてよく考えています。
会社という組織について。
自分という生き物について。
会社や世間が当たり前だとは思わない。
でも、ここには動的な何かがあると思う。
投入することで劇的な変化を遂げる何か。
学生時代は後付けでしか得られなかったもの。
よりリアルに、近づけるものとして得られる何かを感じる。

ものを考えなくなったと言われた。
バカになったと言われた。
考えが固いと言われる。
柔軟性がないと言われる。
双方の世界からの双方の責め。
私が生きるべきはハザマの世界であるはずなのに。
その世界が私から遠ざかる。押しつぶされた世界。

私が生きるこの世界での存在証明。
人からの感謝。
同僚からの激励。
上司からの褒め言葉。
歴然たる数字。
そのすべてが私のrasion de etre。
今日も、明日も、それを私は探している。

私の原点は、いかに生きるべきかという哲学だ。
今も、昔も、これからも。
どんなに私が変わったとしても。
それは変わることはない。

世界は変わり、私もまた。 [2008年02月16日(土)]

浜松にいます。浜松に住んでいます。元気にしてますよ。浜松は風が寒いけど。

仕事をするということ。生きるということ。
会社の中で、そして社会の中で、自分の居場所を見つけ、確保するということ。
それを自分の力で行うということ。

学生時代とは世界は大きく姿を変えました。
一般的な表現をつかえば、「社会の荒波にもまれて」います。

学生時代に世界を旅したことを思い出します。
世界は様々な表情で私に語りかけてきた。
トルコのイスタンブール。カパドキア。グルジアの教会、アルメニアの町並み。
イランのペルセポリス、ウズベキスタンのサマルカンド、キルギスの山々。
日本にいては感じることのできない空気。その名残。
世界を変えるということ。当たり前から逃れるということ。
それが私の哲学の根拠だった。主観から逃れたかった。
当たり前のことが当たり前でないとわかった瞬間。
そこにも理由が存在することがわかった時。
本当に学問を志そうと思った。予備校時代の私。
それが私にとっては「言葉」だった。それが私の世界だった。

ここでは、違う。
言葉づかい。
マナー。
ルール。
笑顔。
言語化される前の何か。気の使い方。
当たり前から逃れてはいけない。言葉にされる前の当たり前を言葉にしてはいけない。
それこそが本当に「当たり前」なこと。

そんな私の世界に最近登場したもの。
学生時代は手に入れようとも思っていなかったもの。
テレビ。

主体的でなくなるから好きではなかった。
友人たちとの会話でもテレビの知識は必要ではなかった。
必要な話題はお互いが共有する世界の中にあった。
共有することがない人たちとは友人にならなければよかった。
それで、すんだ。それが学生だった。

今では、違う。
何かがない人とも関係を築く必要がある。
関係を築くこと。それが「営業」をするということ。
もちろん、本業で関係を築くことはある。
けれども、本業だけでは、「それだけ」の関係で終わる。
「それ以上」の関係になるために。
世界を共有することが必要になる。

そのひとつとして、テレビはありがたい。
私に世界を、そして、「世間」を運んできてくれる。
今の私に必要なこと。それは生きるための術。

たとえば、そんな昼下がり。 [2007年05月04日(金)]

みなさん、お久しぶりです。
社会人として生活しています。
平日は、朝六時半に起床し、早くて午後七時半に帰宅する。
そんな生活を送っています。

休日は、のんびりと。
それでも、学生時代に比べれば時間はとっても貴重になりました。
何かを振り返るそんなことさえ許されないくらい。

たとえば、春の風に何かを感じ。
たとえば、時として降る雨に自分の人生を考える。
学生時代なら、当たり前のようにしていたこと。
今の私には、残念ながらできないこと。
それが、社会人として生きていくということなのでしょう。

GWは特に出かけたり、帰省したりせずにのんびりしてます。
掃除したり、洗濯したり、野球をしたり、買い物したり。
明日は、美術館にでも行こうかな。
モネ、ダヴィンチ、ペルジーノ、いろいろあって迷います。

そして、美術館に行く時にでも、もう私は一般料金で。
たまに、学生証を見せれば、割引がきくかのようなそんな錯覚を覚えます。

さぁ、少しだけ何かを取り戻そう。
そして、何かを投げ捨てよう。
全てを大事にはできない。
私の余裕が見渡せる範囲で。
私は私の生活を、私の世界を大事にしていきます。

18の夜、忘れゆく想い。 [2007年03月18日(日)]

ブログでは、お久しぶりです。元気にしております。
無事、卒業も決まりました。今は、新生活の準備にバタバタしております。

この春休みに、旅に出たりもしてみました。
一番大きかったのは、エジプトで、サークルの仲間達と
行ってきました。
スフィンクスとか、ピラミッドとかも見てきましたよ。
人生で一度くらいは行っておくといいかもしれません。
たぶん、二度はいらない。

それで、他にも旅に出ようと考えてみたりするわけです。
例えば、青春18切符を使ったりして。
自分の手帳とにらめっこをして、ここなら旅に出られるとか
ここはこういった予定があるから無理かなとか
そういったことを考えてみるわけです。

日本で行きたい場所は色々ありますが、
今、一番行きたいのは尾道です。
坂が多い街と聞いてます。
きっと、何かが存在する街なのでしょう。
憧れ、ですね。

で、三日間あるとして、東京から尾道までいけるでしょうか。
結論から言えば、いけます。
東京から、尾道まで多分、片道一日くらいかければ、18切符で行けます。
行きに一日、滞在に一日、帰りに一日。
行けるのです。

でも、行こうとは思いませんでした。いえ、思えなかったのかもしれません。
今はもし三日あるとしたら、新幹線で行って2日半くらい観光して
それから新幹線で帰って来たいと思います。
お金で時間が買えるなら。
今の私には、そっちの方がいい。

思えば、年をとるにつれて、同額のお金の価値はどんどん減少してきた
という気がします。
子どもの頃は、お年玉で一万円をもらおうものなら、
それはとてつもない大金で。
使うべきか、貯金すべきか、随分迷ったものでした。
使うにしても、親と相談の上、大きな買い物をしたものでした。
大抵は、ゲーム関連の何かでしたけどね。

今の私には、一万円にはそこまでの価値はありません。
一万円の買い物など、いつでもできますし、親と相談もしません。
そして、これから社会人になると一万円なんて
今の千円ぐらいの価値にしかならないのかもしれません。

そして、こんなことを考えて、「ああ、だから18切符なんだ。」と
妙に納得してしまいました。
鈍行でのんびり行くそんな時間を良いと思える年齢。
新幹線を使ったりして時間を買わなくても良い年齢。
それが18歳なんだ、と。

だから、私はもう18ではないのだな、と実感してしまいました。
18切符で帰省していた時。
18切符で龍泉洞に行った時。
18切符で長野や松本、諏訪に行った時。
紛れも無く、私はあの時、18だったのでしょう。

今はなき18の心、18の想い。
でも、それは悲しむべきではなくて。
それだけ今の時間には価値が存在するということだから。
時間を大切にして生きてゆきたい。
でも、また、いつの日か。
18の心に再会できれば。
そんな想いを胸に、社会人として生きてゆきます。

新たな年、生まれゆく想い。 [2007年01月01日(月)]

あけまして、おめでとうございます。
(ここを読んでくださっている皆様にはおそらく)
旧年中はお世話になりました。
(そして、おそらく)
今年も、お世話になると思います。よろしくお願いします。

「あけましておめでとうございます。」
という定型句はどうしてこんなにも使い回されるのでしょうね。
もはや、元々の意味とか人々はあまり意識しない。
年があけることが、めでたいのかどうかさえ、
分からなくなってきているのではなかろうか。

でも、人は、ありふれた言葉を使う。
決まり切った手段を用いる。例えば、年賀状とかね。
安心したいから、かな。
他にどうしていいかわからないから。
だから、今まで通りの事をする。
今まで通り、元の意味が無くなったとしても
「あけましておめでとうございます。」と言う。

元の意味が無くなるという意味では
「今日は」というのはもはや元の意味など無いだろう。
元々は「今日は良い日ですね。」というような
使い方をされていたのが、定型句となり、
次第に文尾が省略されてきたのだろう。

どうして人は同じ言葉を繰り返すか。
だって、急に違った言葉を使われると
「ぎょ!」っとしてしまうからだろう。
人は不意打ちに弱いから。

人の体は不意打ちに弱い。
もちろん、フィジカルな意味でも。
同じ衝撃でも、体の後ろとか予期せぬ方向から来ると
それに対して受け身をとれないから
防御態勢をとれないから、
だから、やられてしまう。

そして、フィジカルな意味をこえたところでもそう。
いきなり予測もしない言葉を投げかけられると
人の頭はフリーズしてしまう。
何を考えていいのかよくわからなくなってしまう。
だから、誰しもが知っている
「あけましておめでとう。」
なんて言葉を使う。
脳のリソースを使わなくていいからね。
この言葉を使う人も、聞く人も、
「新年の挨拶」という以上の意味をもはや感じない。
それ以上の意味を考えなくてもいいから。
だから、そんな言葉を用いて、安心する。
人と人の繋がりに。

そう、だから、今日は「あけましておめでとう。」なのです。
私がたくさんの人と繋がりを持っているという事。
交友関係に感謝をするという事。
そんな全てに。
「あけましておめでとう。」

重ねゆく時の重さに、ひとは儚く夢を願う。 [2006年12月25日(月)]

年賀状を書いたりしています。

やっぱり、手書きがいいなぁ・・・と実感。
書く枚数が15枚程度にとどまっているからそんな事も
できるのでしょうけれど。
デジタルにはない、アナログの優しさがあるから。
切り落とされなかった人の温かさがあるから。
だから、私は直筆が好きです。
年賀状も直筆で。一人一人コメントを添えて。

年賀状だなんて、言い訳がないと人に葉書を送る事も
できないから。
だから、こうしたイベントを面倒がらずに
前向きに受け止めていけたらいいな、と思います。

一年前の年賀状を見て、今年の年賀状を書いていると。
この一年の重みが感じられます。
結局、この一年、顔をあわせなかった友人もいる。
何度も何度も顔をあわせ、演劇を作り上げた後輩もいる。
特に進展しなかった交友関係と。
今年もたくさんの時間を共有した交友関係。
そんな私の交友関係の縮図をそこに見出します。

時とともに深まっていく交友関係。
時とともに薄れていく交友関係。

重ねたときが多ければ、さらにときを重ねる事もできるでしょう。
重ねたのはただ一度の言葉ならば、
とこしえの闇が人の過去をも飲み込むでしょう。
どんなに愛おしく思いこめる日々も
ひとはいずれそうね、それを思い出と呼ぶでしょう。

重ねゆくときの重さに。
折り重なるようにさらに重さをますように。
ひとは儚く夢を願う。
夢は夢であるよりも。
今は今でありたい。
今はもう思い出となった今の
夢の欠片なのだろうから。


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えっ、うそっ! [2006年12月21日(木)]

トルクメニスタン大統領が急死したようです。びっくり。

と、言っても、トルクメニスタンってどこ?っていうような人のために、
少し解説しておきましょう。

トルクメニスタンは旧ソ連諸国の一つで、ソ連崩壊後
独立した国のうちの一つです。
カスピ海の東側、イランの北側、アフガンの北西、カザフスタンの南、
といった場所に位置しており、国の大半は砂漠です。

天然ガスが出るので、経済はそれなりに潤ってます。
国の中でも、ウズベクなんかに比べて
タクシー代が(つまり、ガス代が)異様に安かったです。

ただ、為替レートで、闇と現実の差が四倍以上あってびっくりしました。
私がこの夏に旅をした国で、闇レートが存在したのは
この国だけでしたね。
100ドル札を両替したら、237万マナトになって
返ってきました。
因みに、一番大きなお札は1万マナトね。
あ、想像しにくい人は、一枚お札を出したら
1万円札が237枚返った来たのだとご想像下さい。
金が財布に入りきらずに、鞄に直接ぶちこむ、という
スタイルが、トルクメでは当たり前でした(笑)。

政治体制は、基本的に大統領の権力、という感じ。
ある意味、北朝鮮みたいなものです。
トルクメニスタンは永世中立国ですけどね。

旅行者に対しては基本的にビザを発給していません。
「歩き方」なんて見ると、ビザとれません、と書いてますが、
実はとれます。トランジットビザですが。

トランジットビザっていうのは、出国先のビザを持っていれば、
一時的に通り抜けるために、入国を許可しますよ、というビザ。
だから、トランジットは日数が短いし、一回しか入れないです。

私は、イランで、ウズベキスタンのビザを見せて、トランジットを
もらいました。懐かしい思い出。
あれをもらったから、日本へ帰れると実感した。
うれしくて、何度も何度も、パスポートに貼られた
トルクメのビザを見直した。
夜、ベットに入って日記を書きながら。
何度も、何度も、自分のパスポートを見返して、
これまで来た道のりを思い出して、
これから行く道のりに思いをはせた。

で、肝心のトルクメニスタンなのですが。
入国してビックリ。
国は、旧ソ連的で、街の中心はモニュメントだか、公園だか、
なんだかで、整備されすぎていてて、なんだか拍子抜け。
アジア的なゴミゴミが全くない。
そして、街の中心のモニュメントは、大体、
件のトルクメ大統領(通称バシュ)の銅像だか、肖像画だか、
そんな感じ。
首都の中心部には、塔があって、その上には金で出来た銅像、
ってか、金像?、があって、ちょっとぽかーん、という感じ。
省庁の入り口には、必ずバシュの肖像画が掲げられているし。
公園とかは、大体、トルクメンバシュ記念公園とか、そんな名前だし、
街の名前も、トルクメンバシュとか、トルクメンバットとか
そんな感じに改変されているし、なんだこの国?
というので、よくわからなかった憶えがあります。

ちなみに、もちろん、お札の肖像画は全部この人。
入国審査で、一万円札を見た、トルクメンの役人が
(諭吉を指して)「お前の国のプレジデントか?」と聞いてきたのを
思い出します。その時は思わず、苦笑したけど。
でも、彼は大まじめだったのでしょう。

そんな大統領に権力が集中している国で、
彼が死んだらどうなるのだろう?
ちょっと考える。
まぁ、トルクメには四日間しかいなかったわけだし、
そんなに答えが出る質問でもないのだけれど。

でも、一度行った国ってすごく身近に感じられるなー。
やっぱりね。
トルクメを通らなければ、たぶん大統領が死んだとか
そんなニュースを見ても、何も考えず、
五分後には忘れていただろうな。

だから、自分の受け皿というか、感じられる何か範囲を
広くしておく、というのはとても良い事。
世界の事を感じ取るには、自分の感性が鋭くなければ。
アンテナで受信できる電波の範囲が広くなくては。
そのためには、色々な事を経験しなくては。
一つの事だけにこだわっていてはダメだから。
今までの自分がこうだったからといって
これからの自分もこうだと決めてしまってはダメだから。
だから、これからも。
私が私であるために。
何事も拒絶せず。
受け入れ、受け流して。それが私の道。

口内炎ができました。 [2006年12月12日(火)]

舌の上に口内炎ができてしまいました。
生活にすごく困るというわけではないけれど。
でも、やっぱり疲れているみたいです。

卒論は現在14000字程度。
四万字がデッドラインだと思っていました。
でも、昨日、研究室に行って、助手さんに聞いてみたら
「ううん、四万字以内だよ。」って笑顔で教えてくれました。
え、それって何字以上ですか?って聞くと。
「いや、特に決まりはないけど、大体80枚あればいいかな。
70枚でも許してくれるかもしれない。でも60枚はダメだね。」と。
原稿用紙換算で、70枚という事は、28000字。
お、すでにデッドラインの半分まで達しているではないですか。
すでに道半ば。なんか卒業できる気がしてきました。


こういう風に想定外の喜びがあると、普通にそう聞くよりも
嬉しいですよね。
最初から四万字以内って聞いていたら、「ああ、そうなんだ。」って
思って、こうした喜びを感じる事ができなかった。
それって幸せなことですよね。

言い換えると、期待をしていないときほど、喜びは大きいのかも
しれません。
例えば、予想していなかった人にお年玉を貰ったときとか。
親族などの、もらえるだろうなと想定している人から
お年玉を貰っても、「あ、うん、ありがとう。」って感じで、
いや、もちろん嬉しいのですけれど、想定外の嬉しさって
ないですよね。
でも、予想もしなかった人に偶々出会って、お年玉を貰ったとき。
その金額の過多に関わらず、とっても嬉しいもの。
まぁ、お年玉だけじゃなくて、
例えば、サプライズバースデイパーティとか、
あるいは、道ばたで偶々旧友と出会ってしゃべり倒したときとかも
そうなのかもしれません。

じゃあ、こうした類の喜びを感じるためには
期待をしなければいいのでしょうか。
期待をしてしまうと、同時に失望をも予感させる。
去年までは一万円、お年玉にくれていた人が、
なぜだか、今年は五千円しかくれなかった。
一万円だと期待していたら、失望してしまいますよね。
五千円でも、本来は十分嬉しいはずなのに。

期待しない事。
それが、幸せに生きる手段。
でも、それはなかなか難しいですね。
今までの自分を捨てる事。
その瞬間、瞬間に感謝をする事。
繋がりなど考えない事。
過去が未来に連続しているなど思わない事。
未来はいつだって、その時来る現在に過ぎないと考える事。
今と未来は、無関係だと思いこむ事。
なかなか難しいです。
でも、それが幸せに生きるためなら
ちょっとくらい努力してみようと思いませんか。
そうすればきっともっと大人になれるはず。

さ、卒論を書こう。
もう半分書いたのだから、後半分ぐらい書けるなんて思わないで。
その一瞬一瞬の光り輝きを胸に秘め。
一言一句に、私の思いを塗り込めよう。
この文章が、私の学問への決別となるのだから。

世界を変える。 [2006年11月07日(火)]

私たちは、この世界から多くの影響を受けて生きています。

そして、世界とはある種の習慣のことだと言っても良いでしょう。
例えば、毎日、どの新聞を読むかとか。
例えば、毎日、どの電車に乗るかとか。
例えば、毎日、どんな食事をするかとか。
例えば、毎日、どんな本を読むかとか。
例えば、毎日、どこのスーパーで買い物するかとか。
例えば、毎日、どんな人と話をするかとか。
そういった、習慣。

だから、意図的に世界を変えたいと望むとき、
それは、生活習慣を変えることで成り立つことがあります。
例えば、いつもと違う道で通勤・通学してみたり。
例えば、いつもと違う食事をとってみたり。
例えば、いつもと違う本を読んでみたり。
例えば、いつもと違う人と話をしてみたり。
例えば、いつもと違う新聞を読んでみたり。
そんな事。
一番、大きく世界を変える方法は引っ越しをすることでしょうけどね。
すんでいる場所が変われば、かなり大きく生活習慣が変わるから。
大きく、世界を変えられる。
でも、この家には後三ヶ月近くは住むから。

そして、世界を変えたいと望むから。
友人の薦めに従って、ゲームを買ってきました。
え?そこ、どう繋がるんだって?
新しく、ゲームをするという習慣を作って、
今の世界を変えようと思うのですよ。ただ、それだけ。
「RPGとかいいんちゃう?」とのお言葉に従って
RPGを。

ま、卒論を一字も書いていないというこの状況で、
ゲームを買ってきてやる余裕あるのかよ、おい!
という冷静なつっこみをする自分もいるのですが。
いいよ、いいよ。なんとかなるさー。

何かを想う。 [2006年10月28日(土)]

何かを考えたいとき。
何かを想うとき。
何かに憂いを抱くとき。
ゆったりと瞑想することがあります。

基本は、高校時代に宗教の時間に習った姿勢で。
フィジカルな姿勢だけじゃなく、頭を空っぽにしようとする
その努力は、やはりあの学校で学んだものでした。

今の日常生活で、頭を空っぽにしようとするとき、
あの時、あの学校で学んだ事が発現する。
何かの仕方、何かの方法。
それが"私"というもの。

タバコを吸うとき、瞑想と同じ効果があるときがあります。
吸い終えるまでの数分間、ずっと同じ姿勢でいる。
吸い終えるまでの数分間、吸う以外のことをしない。
吸い終えるまでの数分間、歩いたりもしない。
吸い終えるまでの数分間、同じ景色を見てる。
タバコの味以外、新しい刺激がない。
目を閉じて、外界からの刺激を遮断する瞑想と同じ。
実は、タバコを吸うことの効用って
強制的に"間"をとらせることなんじゃないか、と。
そんなことを考えてみたりもするわけです。

どうしようもない精神状態の時、
歌を聴いたり、小説を読んだり、映画を見たり、
お酒を飲んだり、人としゃべったり、ひたすら眠ったり、
タバコを吸ったり、無駄に体を痛めつけてみたり、
それを解消する手段は生きていくにつれて
どんどん増えてきました。
でも、それは同時にそうしなくてはならない
"何か"と自分が相対する機会が増えたということでもあります。
それは幸せなことなのかも知れません。
それは不幸なことなのかも知れません。
でも、真剣に相対すべき何かがそこにあるということ。
悪くはない。

・・・灰皿買ってこなくちゃ。
この灰を集めるために。
塵は塵に、灰は灰に、土は土に。
何時の日か、この灰が何かの糧になるように。
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